この町には、物語が生える。
比喩でもなんでもなく、まさしくアスファルトに咲く花のように紙が数枚集まって路上に生えるのだ。原稿用紙に手書きであったりコピー用紙に活字であったりと形式は様々だけど、とりあえず紙には物語が書かれている。あまり長いものはないにしろ内容はバリエーション豊かだからか、むしって読んでいる人も見かける。でも所詮その辺に生えているものなのでわざわざ探したり集めたりするような奴はいない。雑草みたいな紙を見つけては持って帰り眺めてにやにやするなんてのは、普通はしない。
そして、残念なことにわたしの妹はそんなことを毎日のようにしている。
「…ジャングルジムの中にまで入るのはやめなさい。」
制服を砂で汚しながら、妹はジャングルジムの内部で紙をむしっていた。
「あ、姉ちゃん今帰り?」
窮屈な体勢のまま器用に振り向くと、四つん這いでごそごそとこちらへ向かってきた。声をかけてしまったことを猛烈に後悔した。他人のふりをしたい。というかなんで子どもが遊んでいる公園に高校生がここまで溶け込んでいるのか。精神年齢が同じだからか。
「私も帰ってる途中だったんだけど、ちょっと見かけちゃってさあ。そしたらゲットしないわけにはいかないじゃん?」
「いや、普通はしないから。」
ぱんぱんと汚れを払いながら片手でうまいことお話を読んでいる。わたしの言うことは聞いていないようだった。こうなると何を言っても適当な返事しかしなくなる。読み終えてポケットにしまうまで待ってから、わたしは一応聞いてみた。
「それ何の話?」
「バケツかぶった地縛霊の話」
「なにそのホラー。よく平気な顔で読めるね。」
「メルヘンだったし」
「どうしたら地縛霊がメルヘン世界の住民に…。」
「純愛だったし」
なんだそれ。そう思ったが口には出さず、わたしは曖昧に笑った。意味の分からないことは流すに限る。妹はその後も戦利品をにやにやと眺めていた。
「ねえ。」
「なあに?」
そろそろ家も近い、というとき、隣を歩いていた妹にわたしは話しかけた。
「それってさ、何なんだろうね。」
「これのこと?」
制服のポケットに入った物語の束を指して、妹はなぜか笑った。
「うん。土から紙が生えるっていうのは置いとくとしても…いや置いちゃダメなんだけど…ネタはどこから湧いてくるんだろうと思って。」
妹のコレクションをいくつか読んだことはある。変な話やつまらない話も多いが、まったく筋の通っていない話や文として成り立っていない話はないのだ。読めなくはない。人が考えて書いた文章、という気がする。
「うーん、そうね…。妄想の煮凝りとか?」
「もうそう…。」
さっきまで何やら不思議なものに見えていた紙束が、一気に生臭く思えた。
「きれいに言うなら夢の結晶とか」
「最初からきれいに言って…。」
まあニュアンスは伝わった。人の空想が固まって形になったもの、みたいな感じに解釈しているんだろう。わたしと同じ意見だった。コレクターの妹なら何か違う風に理解しているかと思ったんだけど、そのあたりの感性は普通と同じらしい。
「たっだいまー」
「ただいま。」
「今日は遅かったね、おかえり。」
家に帰ると、お母さんがすでに夕食の準備をしていた。
膨らんだポケットを見て、眉をひそめる。
「もう、またそんなに集めてきて…。駄目とは言わないけど…。」
「ちゃんと整理はしてるから大丈夫だよー」
「…あんまり遅くはならないようにするから…。」
「なんで姉ちゃんがしょんぼりしてんのさ」
一緒に帰っているときもここにあそこにと紙をむしりまくっていた妹がぽんぽんとわたしの背中をたたいた。元凶のくせにけろりと笑っている。
「おっと、目が怖い、目が怖いよ? 私なんかしたっけ?」
「……部屋、片づけてくるね。」
能天気な顔をした妹は放っておいて、わたしは共用の部屋に行った。妹はあんなことを言っていたが、部屋は割と汚い。いくら片づけても紙が増える一方だからだ。ファイルや棚に押されて服や勉強道具をしまうスペースがなくなってくる。
「……もうさ、捨てようよ。読まないのだってあるでしょ。」
自然と、そういう言葉が出た。今まで一度も捨てるなんて口に出したことはなかったのに、なぜかずっと昔からそう思っていたような気がした。
「そんな殺生な」
妹は大げさに驚いた顔をする。普段からこいつはオーバーリアクションなんだ。ときどき無性に腹が立つ。
「とっておいても何にもならないし。そもそもなんでこんなの集めてるの。」
「とっておくことに意義があるというのは…ダメ?」
「ダメ。」
いらついた気持ちのままにそう言って切り捨てると、妹はにへらっと笑った。
「じゃあ、いいよ」
「……うん?」
また芝居がかった感じに怒ってでもみせるのかと思ったのに、すんなり受け入れられてしまった。わたしはたぶん変な顔をしていただろう。
「そろそろ潮時だなーっては思ってたんだ。もういらないって思うんなら、思えるんなら、それはもう要らないってことだから。しょうがないね」
なぜか妹は窓を開けた。部屋は一階にあるので、そのまま外に出られるようになっている。靴下のまま庭へ下りると、妹はこっちを振り向いてにっこりした。いつもは表情がやたら豊かだから分かりにくいけど、こんな風に落ち着いた顔をすると妹はわたしに似ている。本当に、やけに似ている。
「忘れないでってまでは言わないけど、覚えててくれると嬉しいかな。ばいばーい」
ふっと向かい風が吹いて、思わず瞬きをする。目を開けると妹の姿がなかった。
「…………へ? あれ?」
目をごしごし擦っても、頬をつねっても、庭には誰もいない。
「……何? え? どゆこと?」
部屋の中を見回しても、妹がいないこと以外はついさっきとまったく同じだった。
「ち、ちょっと、どこいったの……。」
名前を呼ぼうとしたけど、出てこなかった。わたしの妹は、なんていうんだっけ?
ぞわっとした。頭の中が真っ白になって、どういうことか分からない。さっき部屋を見た時も紙が大量に入ったファイルは山ほどあった。ならいたはずだ。道端に生えている物語をむしって集めるのが大好きな、わたしの妹は。庭から外に出て行ってしまったのだろうか。追いかけようと足を動かすと、なんとなくスカートがいつもより重かった。ポケットに、何かが入っている。何だろう。いや、わたしは、この感じを、知っている…気がする。中にあるものを取り出すと、それは紙の束だった。
《私の学校には、バケツさんがいた。たぶん妖怪か幽霊だ。バケツをかぶって特に何もしないで立っている、私にしか見えない存在を、他になんと呼べるだろう?》
そんな風に始まる物語。これは、バケツをかぶった地縛霊の話? 妹がむしっていたはずのものが、なんで私のポケットに入っているんだろう。どういうことかとぼんやりしていると、お母さんが部屋をノックした。
「もうすぐご飯よー。」
「うん、今いく…。」
なんとか立ち上がってドアを開けると、お母さんは心配そうな顔をした。
「あら、顔色悪いけど、どうしたの?」
「…ねえ、お母さん。わたしって、ひとりっこだっけ。」
「そうだけど…。」
わたしに、妹はいなかったらしい。
じゃあ、あの子は誰だろう? むしり集めた紙は部屋にある。今日ゲットしていたものは、わたしが持っている。ということは、物語をコレクションしていたのはわたしで、それを「妹」がやっていたことにしていた、のだろうか。なぜ。なんのために。というかいつの間にそんな妄想が見えるほどストレスを溜めていたのか。
妄想。ついさっき、その言葉は聞いた。
『うーん、そうね…。妄想の煮凝りとか?』
妹がいたらいいのにって、思ったことはあったかもしれない。
紙を集めていて、変だと笑われたことはあった。小さい頃だ。
同じことが好きな人はいないのかなと、思った。
そんな空想をした。
なんとなく思い当たることがあって、窓の外を見る。妹はわざわざ外に出た。たぶん何かが必要だったからだ。部屋にないけど庭にはあるものが。草にまじって紙が風に揺れていることもある。妹がよくむしりにいったものだ。けどあれは部屋にも山ほどあるから違う。それにあってどうなるだろう。紙の中に溶けて消えたとでもいうのだろうか。草? 外気?
土?
物語は土から生える。アスファルトの裂け目からも生えてくる。土さえあれば。
そして、紙は放っておくと土に還るのだ。そのあたりは普通の紙と同じらしい。
「………ああ。」
泣きそうになって、わたしは上を向いた。
「え、大丈夫? どこか具合悪い?」
お母さんが本気で心配そうに声をかけた。
「いや、大丈夫。ちょっとこれ読んでただけ。」
わたしは紙を見せた。
まったく、本当に、どれだけわたしはストレスを溜めていたんだろう。どれだけ細かく想像したら普通はお話にしかならないはずのものが人間にまでなるのか。
ここでは、人の空想が、形を持って生えてくる。
たぶん、願いもそれに含まれる。