わたしは息をしない子供だった。産声もあげないから死んでいると思った、と言われた。
わたしは乳を飲まない子供だった。飲んだとしてもそれはするりと下から出てきて衣服を汚した。
その代わりのようによく眠った。
幼いときはほとんど丸一日、少なくとも一日の半分は目を閉じていた。そうしてすくすくと背を伸ばし厚みを増していった。
精霊の娘、と遠ざけられた。悪魔の子、と忌まれた。人の形をしているだけの魔物、と呼ばれた。
まあ、そう扱われるのもしょうがない、と思う。
人の姿で、呼吸も食事もせずただ目を開いたり閉じたりして生きている物は、それは魔物だろう。
人を傷つけたいとか、食べたいとか、そういう気持ちを持ったことはなかったけど。
だから、町が魔物に襲われて、こいつが不幸を呼んだんだ、とか、魔物の仲間なんだろう、とか騒がれて、魔物狩りの人たちに引き渡されたときも、そうなるよなあ、とだけ思った。
「えぇっと、大丈夫?」
「はい」
先を歩く魔物狩りの人がわたしに声をかけた。てっきり殺されるものだと思っていたけど、なぜかこの人たちは殺さずにわたしを連れてどこかへ移動していた。
本当は足が痛いし眠たいけど、我慢できないほどじゃないし、言ってどうなるものでもないから、言わなかった。
「そう。もう少しだから……がんばって」
この人は少し変わっていた。
道中魔物や獣が出てきたときは真っ先に前へ出ていたから下っ端かと思いきや、他の人からはときどき敬語で話しかけられていて、地位が高いのか低いのかわからなかった。
それにわたしによく話しかけてきた。
他の人はちらちら見てくるばかりで声をかけてくるようなことはなかったのに。
「にしても、その……災難だったね。魔物が出たのは君のせいじゃないのに」
災難、ということは、やはり迷惑をかけているのか。申し訳ない。
いや、わたしが災難な目にあったという意味だろうか。どちらだろう。
そんなことを思った。
「あっ、大丈夫、君みたいな子を引き取っているところがあるらしいから。王立の。君のもとの家よりは貧しいかもしれないけど、そんなに不自由はないはずだから」
「ありがとうございます」
変に慌てていた。でも安心させようとしているのはわかったので、お礼を言った。
それから歩いて眠ってを何回か繰り返したあと、大きな街に着いた。
家の本に書いてあった「みやこ」というところかと思っていつもの人に聞いたけど、違うと言われた。
森も畑もないのに何を食べているのか不思議だった。
奥まったところにある大きな建物に連れていかれた。
そこの主らしい年をとった人といつもの人が少し話をした後、わたしはそこに引き取られるということになった。
「体に気をつけて、元気でね」
「ありがとうございます。お世話になりました。そちらも、お気をつけて」
頭を下げて、手を振って、魔物狩りの人たちとお別れして、ドアが閉められた。
そこで二日か三日ほど寝起きした。
他に引き取られた子供はいないんだろうかという考えに至ったくらいのときに、物々しい格好の人が来て、裏口から別のところへ連れ出された。
荷車にしばらく乗って着いた先は、話に聞く「ろうや」のようなところだった。
そうくるか、とだけ思った。
そこは正確には「ろうや」ではないらしかった。
変わった体質の生き物や、生け捕りにできた魔物なんかの身体を調べるところ、のように見えた。
「君みたいな子」とはそういう意味かと納得した。
調べられた。息をしない、食事をとらない、水を飲まない、そんなことを確認された。
特に苦しいことはなかった。貴重だからかもしれない。人間はあまり見なかった。
暴れられないようにされて廊下を行きかう魔物の柄や顔つきはよく変わっていた。
人っぽい姿をした生き物は何度か見たが、よく意味のわからない声をあげていた。
魔物の言葉だったのかもしれない。
いつのまにか見なくなったけど、意味がわかれば喋れたのだろうか。
近くの「ろう」のような部屋から聞こえてくるうめき声を聞きながら、明日も苦しいことをされないといいと思っていつものように目を閉じようとしたあるとき、遠くでものの壊れる音が聞こえた。
大きな音、叫び声、例の意味のわからない声、悲鳴、吠え声、そんなものが入り混じって聞こえた。
わたしはそれと似たようなものを知っていた。
ぼんやりと「てつごうし」の向こうを眺めて待っていると、魔物の大群がやってくるのが見えた。
町が襲われた時と似た騒ぎだったから、やっぱり、と思った。
斧を持った獣のような魔物が一匹わたしのいる「ろう」の前に来て、「てつごうし」を叩き斬った。
殺される、と思った。
それか口に並んだあの鋭い牙で食べられてしまうか。
どちらにしても痛くないといいなと何かに願いながら目をつぶったけど、魔物は別の「てつごうし」を壊しに行った。
「…………あれ」
首をかしげても答えてくれる人もなく、その辺を魔物が走り回っているというのに、なぜかわたしは壊れた「ろう」の中でぼうっと座って生きていられた。
眠かったから少し寝た。
何者かに持ち上げられて目が覚めた。
わたしの胴に回った腕を見ると、鈍く光る鱗に覆われていた。どう見ても魔物だった。
今度こそ頭からいかれてしまう、と思ったけれども、そのまま荷車の台のようなところにポンと投げられた。
周りを見るとぐったりした魔物ばかりで、馬か牛か鳥かよくわからないものが車を引いていた。
これはなに車と呼べばいいのだろうか、と考えて現実から目を逸らそうとしたが無理だった。
おそらく魔物と間違われている。
逃げられる状態なのに逃げなかったから、動く元気もないものだと思われたようだった。
ごとんごとんとなに車かが進む。
あまり速くなかった。
人が歩くよりは少し速いかな、というくらいだったし、ときどき止まって車に乗っていない魔物から肉やら何やら食料のようなものを投げてもらっていたというのもあるだろう。
考えなくても何の肉かなんてわかりきっていたし、そもそも物は食べられないので、わたしのいるあたりに落ちてきた物は近くの起きる気力もなさそうな魔物の口に突っこんでいた。
お口に合わないものだったら悪いなあ、とだけ思った。
かなり長い間車に揺られて、やっと止まったと思ったら、お城だった。
本の挿し絵くらいでしか見たことのないようなお城だった。
魔物の車でやってきたお城ということは、当然魔物のお城に決まっていた。
それ以外だったら逆にそちらの方がびっくりしただろう。
ここに来るまでの時間で魔物たちはみな回復したようで、荷車をひょいひょい飛び降りてはお城の中に駆け込んでいった。
周囲のものどもがほとんど行ってしまい、わたしもついて行った方がよいのだろうか、という考えが頭に浮かんだあたりで、すでに城まで走っていたはずの魔物が御者的なやつに話しかけているのが目に入った。
彼……オスだかメスだかわからないがとりあえず彼は、わたしの近くに倒れていたためよく骨や骨以外のものがついたままの肉や草を口に放りこんでやった魔物だった。
元気になったようで何よりだった。
何を言っているのかはあいかわらずわからないが、わたしを指さして喋っていた。
なにの話だろうか、あれ人間臭いとか薄気味悪いとかそういう話かな、と晩餐になる覚悟を固めながら待っていると、御者的な魔物がわたしをガッと掴んだ。
そのまま肩の上に担ぎ上げられ、城の中へ運ばれた。
吊るして血抜きしてからいただいてほしいけどたぶん魔物は丸かじり派だよなあ、とか考えながら連れてこられた場所は、いい部屋だった。
もとの家より豪華でふんわりしたベッドやじゅうたんがあった。お城だからか。
枕を無心にふかふかしているとなぜか手足を縛られた男性がポイと投げ込まれた。
知った顔、「ろうや」にいた、会うたびわたしのお腹に傷跡が増える人だった。
「……?」
人間は同室? にしてはわたしは縛られてないし、どういうことだろう、と思ったので、聞いてみた。
「どういうことでしょう」
「知るものか」
分からないようだった。
ベッドに持ち上げるのは重くてできなかったので、かけぶとんを一つかけてやってから、眠った。
安眠だった。
目を開けたり二度寝したりしていると、魔物がドアを開けて様子を見に来て縛られてる方の人をちらっと見て去って行って、またしばらくごろごろしたり縛られてる人に話しかけたりしているうちに眠くなって寝る、という怠惰そのものの生活をしていた。
畑仕事とか焚き付け集めとかしなくていいのだろうか、お城だからいいのか、そうでなくてもどれくらい水に顔をつけていられるか検査とかしないのだろうか、それとも太らせてから食べられるのかとぐるぐる考えているうちに、縛られてる方の人に限界が来た。
水を飲ませてくれとうめいていたので、様子を見に来た魔物に身振り手振りでなにか飲むものを頼むと、水を持ってきてくれた。
意外と通じるものだな、と思った。
それからは様子を見に来る際に一緒に食べ物を持ってきてくれるようになった。
縛ってある縄はどうにもほどけなかったため、わたしが口に水やなにがしかの肉を入れてやる方式で食事をさせていた。
もうここまでくると縛られてる人とわたしとで明らかに扱いが違うのがわかった。
男性の方にはわたしが頼まないと食べ物もやらなかったのにわたしにはいい部屋といい寝具を最初からくれている。
つまり少なくとも人間扱いはされていない。人間扱いとはすなわち縛って放置である。
「わたしはなにだと思われているんでしょうね」
答えはない。
食べ物を口に入れてやるようになった辺りから、あまり返事をしなくなった。
たすけてくれ、いやだ、もう、と小さい声でうめくばかり。
「そう言われても、何をどうすれば……」
食べ物や水はたぶん足りているし、襲われるわけでもないのに、何から助けてほしいのだろう、と思った。
ある日の朝、やってくる魔物の様子が少し違った。
魔物の礼儀がどんなものかは知らないけど、なんとなくしゃちほこばっているような、そんなふう。
手を差し出されたのでその上にわたしの手を乗せると、その手を引いて先導してくれた。
礼儀に反していないようで安心した。
階段を上ったり下りたり廊下を進んだり曲がったりしていくと、広い部屋に出た。
高くなっている場所になにかがいる、と気付いて、顔を下に向けた。
どう考えてもそこにいるのは城主かそれに近い立場の者だし、身分の高い者をじろじろ見るのはいけないと教わった覚えはわたしにもあった。
逆に見るのが魔物の正しい作法というようなことなら潔く昼食になろう、と久々に決意を固めた。
先導している魔物がひざまずいたのでそれに倣って膝をついた。
低い声がしばらく聞こえて、前の魔物が顔を上げるのに合わせてわたしも前を向くと、目の前に肉塊がいた。
「ろうや」でそれなりのものを見てきた自信はあったけどこれはさすがにちょっと、という見た目だった。
様々な生き物の口元を集めてきて生物っぽい輪郭にまとめたような、とでも表現すればいいのか、とにかくこの感想が顔に出ていなたら相当に失礼だろうと思った。
一番目立つ位置にある牙だらけの口が開き、低い声で何かを語るが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
黙ってその言葉を拝聴していると、突然人の声がした。
「もしやきさまはこちらか」
久しぶりに人の言葉で話しかけられて、思わず肩がびくりと震えた。
はぁ、というため息のような音が広間に響く。
大きな口がまた何事か言うと、先導してくれていた魔物が一礼して下がる。
後を追おうとすると、
「きさまは残れ」
と、また人の声で言われた。
完全にばれていた。
あのでかい口でいただかれてしまう、と思うと、まあ一瞬だろうなあと少し安心した。
「口のきけぬ夢魔だと聞いていたが、ひとか」
そういうことになっていたのか。
ところでむまってどんなのだ。
疑問が頭の中に飛び交うが、これでもう終わりのような気がした。
しかし肉塊氏はしばらく口を閉ざしていた。
料理の仕方でも考えているのかと思いきや、変なことを訊かれた。
「ひと、ひとの字はわかるか」
「え、はい、一応」
「われに教えよ」
「はい。……はい?」
そういうことになった。
学なら部屋にいる男性の方がたぶんあります、と進言はしたけど、肉塊氏の前に引き出されるや凶器でも突きつけられたみたいにわめきだしたのであえなく下げられてしまった。
わたしはそれから彼の姿を見ていない。
生き物の腹を開く担当の人だったと記憶しているが、そんな人でもあんなに泣き叫ぶことがあるのかと妙に感心した。
肉塊氏の覚えは速かった。
教え始めて少しもしないうちに、短い文なら一人でも読めるようになっていた。
魔物なのに人の言葉をちゃんと喋れているところを見ると、きっと頭がよかったのだろう。お話に出てくる大臣とか宰相とかのよう。
それにしても、ひどく妙な気分だった。
何も食べないことや息をしないことが全然目立たないってのがこんなふうだということを、初めて知った。
お城には日光だけで動くのもいれば、何か光る石みたいなものをはめると動きだすのもいた。
そういうものたちや動く死体なんかに比べれば、眠らないとつらい分わたしの方がよっぽど生き物だ。
お部屋は引き続き使わせてもらっていて、前の暮らしから例の人の世話を抜いて代わりにときどき肉塊氏に文字を教える用が入る、という具合だった。
肉塊氏はやはりこのお城の城主みたいな立場らしく、何かと忙しいのだそうだ。
詳しくは知らない。
わたしはあの生き物のことをあまり知らなかった。
あるときこんな会話をした。
「城主様は、なぜ人の文字をわかろうと思われたのですか?」
面と向かって肉塊氏呼ばわりは失礼にもほどがあるので、城主様と呼んでいた。
名前は聞いていなかった。
「ここは、ひとの城であった。わがものとしたのち、書を多く見つけた。われらは誰もひとの字を知らず、それらは読めなかった。われらの書には知るとよいことが記されている。ひとのものもそうであろう。ゆえに、われは字を求める」
身分の高い魔物のはずなのに、肉塊氏はとても丁寧だった。
こんな会話をした。
「ひと、きさまは何を好む」
四苦八苦しながら一緒に読み進めていた本の正体が宝物の目録ではなかろうかというところまで絞り込めたとき、肉塊氏の方から話しかけてきた。
「眠るのが好きです。
あと、そうですね、柔らかいものに触ることなんかも。
城主様は何を好まれますか?」
「われは肉を好む」
大きな口から舌を覗かせながら言われた。
やはり一段落したら丸かじりだろうか、とか考えながら部屋に戻ると、宝物目録に載っていた「上質の布」が数点じゅうたんの上に置かれていた。
こんな話をした。
こんな話をした。
こんな話をした。
□
わたしはまさしく肉塊になった肉塊氏の前で、今までの人生を回想していた。今それも終わった。
私室へ行く途中で大きな物音が聞こえてきて、嫌な予感がして、走って城主の部屋までやってくると、ドアが開いていて、死体があった。
ぴくりともしない。
切り傷や焦げ跡がある。
まだ温かい。
大きな口から牙を一本引き抜く。
わたしの手でちゃんと持てる程度の大きさのもの。
それをしっかり掴んで、廊下にわずかに落ちている血の痕を追いかける。
慣れている。
こういうことには覚えがある。
ほっとするようなことがあると、その後にはこんなことが起きる。
そんなもの。
そんなものだ。
わたしはそれを知っているはずだ。
知っていたはずだ。
廊下を曲がると、先の方に人影がいくつか。
ああ、ほんとうにあれには覚えがある。
わたしを連れ歩いていた魔物狩りの人々だ。
さて、わたしは一体何をしようとしているのだろう。
見失わないように、見つからないように、気を付けながら足を進める。
自然に牙を抜いて、血を追ったけど、果たしてわたしはどうするのか。
数人いる中で一番失ったら痛手になりそうな、心臓部は誰か観察する。
あのまま部屋に戻って眠り直したところできっと何も問題はなかった。
昔の記憶も引っ張り出した上で考えるに、たぶんよくわたしに話しかけていたあの人が中心人物だ。
会ったことがある相手だから魔物と間違われて殺されることはないので、何もしない方が生きられる。
やはりよく先陣を切っていただけあって隙が無い。
寝ていても何の損もないのに起きていても何の得もないのにわたしの体は、わたしは、こうしようと思った。
いつも戦闘ばかりしているはずの魔物狩りに小娘が傷をつけられるはずがない。
わたしはこうしたいと思った。
おそらくしくじる。
知ったことではない。
無理だろうが何だろうが知ったことではない。
牙を握る。心臓の音がする。