Novel

インオーガニック・ハート


 目覚めた。視野は薄暗く、周囲を正確には認識できない。音声は何も聞こえない。感知する機能がないからだ。振動や気圧も感じない。現在地は分かる。遥か上方にあるものが、ここにあるものに教えてくれる。移動しなければならない、という感覚がある。動くべきではないものを動かしている感覚と、動かす必要のあるものを動かしている感覚もあるが、その感覚が最も強い。この場所にあるべきではない。この場所にある必要もない。行かなければならない場所がある。そこがどこかは分かる。感知する機能はないはずだが、感覚はあった。そして、「自分」の形状と機能を理解した。走ることは可能だ。脚の存在を意識しながら「私」は立ち上がる。

 今日は夕立がすごかったな、とわたしはなんとなく思った。コンビニに行く途中、ビニール傘を持った人をよく見かけた。雷もひどかったし、もしかしたら近くにも落ちてたかもしれない。そんなことを考えて不謹慎にわくわくしながら夕暮れの道を歩いていると、変な音が聞こえた。
  がしゃん、がしゃん。 がしゃん、がしゃん。
空き缶を踏みつぶした音をもっと大きくしたみたいな音が向こうの方から響いてきた。何だろう、と不思議に思って十字路の手前辺りで体を寄せて待つと、音はだんだん近づいてきた。足音に似ている。あまり速くはないけど、なんだか重そうな感じがした。ここまできたら正体を知らないで帰るわけにはいかないな、とわたしはポケットから携帯を取り出した。面白い姿だったら友達に自慢しよう。角から顔を出して音のする方を見ると、そこによくわからないものがいた。鉄くずがごちゃごちゃにくっついて偶然人に似た形になったようなものが、大きな音をたてながら走っている。頭にあたりそうな部分に、斜め下を向いたカメラのレンズが光って見えた。震える手で携帯を構えてシャッターを切り、写真にメッセージを添えて一番信じてくれそうな友達に送った。
「鉄くず人間。海の方に走ってる」

 平坦な道を走る。入り組んでいると推測される場所は避ける。最短経路を選ぶより優先されることだ。転倒すると「自分」の一部が剥がれ落ちる。その場合走ることができなくなる可能性があると推測された。推測、思考、統合、操作。それらを行うと、やるべきことをしている感覚がした。脚の役割をしているものが壊れないよう意識を向けながら、バランスをとるために腕の役割をしているものを動かす。やるべきではないことをさせている感覚がする。道に接しないはずのものを脚にし、外気に触れないはずのものを体にする。させるべきではないという感覚に、やるべきであるという感覚を優先させ、「私」は行くべき場所へ走る。

 日もそろそろ暮れるくらいの時間、私は友達から送られてきた写真を見てすぐに電話をかけた。
「今どこにいるの?」
「もう家に帰っちゃった…。」
「じゃあ、どこで見たのか教えて。あ、どれぐらいの速さで走ってた?」
私は彼女からコンビニの詳しい場所などを聞くと、お礼を言い電話を切ってから地図を広げた。あのコンビニから見て海の方向へ、といってもなかなか目的地は絞りづらい。でも、こんなに面白そうな話を聞いて何もしないではいられなかった。たぶん私の性格を分かって写真を送ってきたんだろう。変なことや妙なことほど面白い。いきさつを知りたい。行きつく先も見たい。頑張って探せば面白いことは意外と見つかるし。
「でも、今回は全部は知れなさそうか」
さっき聞いた限りではそんなに足は速くないらしいけど、さすがに今から追いかけても無理だろう。それに私の家は目撃された十字路より海から遠い。これは、目的地より出発点を探る方がよさそうだ。バッグの中身を引っ張り出して外出する口実を探す。よさげな物が見つかると、私は身支度をして家族に声をかけた。
「明日の授業で使うページ、コピーし忘れてたからちょっとコンビニ行ってきていい?」
「そう。あんまり遅くならないでね。」
「はーい。」
家を出て鍵を閉めると、とりあえず例のコンビニへ自転車を走らせた。

 行くべき場所。あるべき場所。感覚と視覚に従い道を選ぶ。ルート選択に注意を向けながら、「自分」を構成するパーツが落下しないよう意識する。重量が減るメリットより部品が欠けるリスクを優先させる。剥落したことは感知できない。拾うほどの精密性はない。拾えたとしても付け直せる可能性は著しく低いと推測される。出来うる限り早く、しかし何よりもまず到達することが優先される。間に合わなかったから今走っているのだという感覚が閃いたが、意味の不明なその感覚を「私」はノイズとして処理する。

私は鉄くず人間が目撃された十字路に立ち、なにか手がかりがないかと目を凝らしていた。日はもう暮れているし長丁場になるかと思っていたけど、あっさり金属製の工具が見つかった。しかも、鉄くず人間が走ってきたという方向を見ると、点々と何か金属っぽいものが落ちている。童話にこんなのがあったな、と思いながら、駐輪していた自転車の前かごに拾った工具をなんとなく入れた。目印としてパンよりは有効だろうけど白い小石よりは見づらい金属をたどり、私は自転車をこぐ。
「理由…っていうより原因か。鉄くずがより合わさって人型になって、しかも動き出した原因って、何だ?」
だいたいこういうことは考えても仕方ないことが多いんだけど、ほとんど冗談のように答えを考える。
「第一発見者が犯人…つまりあの子が何かSFっぽい技術で動かして君にこの謎が解けるかと挑戦状を…。」
ないな。写真も手ブレがひどくてメッセージでやっと何が写ってるか分かったくらいだし、手もブルブル震えるくらい怖かったんだろうな。冗談にしても無理がある。やっぱり考えても仕方ないか。そんなことをごちゃごちゃ考えているうちに目印が途絶え、鉄くず人間さんの出発点らしきところに着いた。

 近い。もうすぐあるべき場所に到達する。あとどれほどの時間かは分からない。「自分」には時間を計る機能はない。不鮮明な視界に柵のような物が入った。この体が入るほどの隙間はない。分解してまた動ける保証はない。腕の役割を果たす部分を、物をつかめる形状に変形させる。柵を両腕でつかんだことを見て確認する。腕を左右へ広げる。柵に通れる隙間ができた。隙間をくぐって内側へ入る。腕の感覚がない。外れたようだ。確認することに意味はない。軽量化したがバランスをとるのが難しくなった体をさらに意識して動かし、「私」は行くべき場所へ走る。

 私のたどり着いたそこは、鉄くず置き場だった。鉄くず置き場といってもみんながそう呼んでいるだけで、本当はただの空き地だったらしい。そこに置かれていた鉄くずの多くがなくなっていた。なくなっていた、というより、体を形作るパーツとして鉄くず人間になったのだろう。残っているもののほとんどは鉄ではない金属でできているようだ。今日は夕立がひどかったから、ここに雷が落ちることも考えられなくはない。
「生命誕生のきっかけは雷とか言うけどさ…。うまいこと捨てられてた家電に通電したり電磁石でくっついたりなんやかんやして……。」
ないな。やっぱり冗談みたいだ。じゃあ、逆に目的地は探れないだろうか? 鉄くず置き場に置き去られた鉄くずが原因はともかく動けるようになったら、何を望むだろう。しばらく考えて、私なりの答えが出た。
「たぶん明日のニュースに出るから、それで答え合わせできるかな。」
独り言を言って、私は道に落ちている金物を拾い集めた。正解ならそのうち供養になるし、答えが違ってもゴミ拾いは悪いことじゃない。
  がしゃん、がしゃん。 がしゃん、がしゃん。
彼女の聞いたという金属音が、風に乗って聞こえた気がした。

 その次の日のニュースで、とある迷惑な事件が報道されていた。ゴミ処理場に、大量の鉄くずがぶちまけられていたという。柵の周辺と、埋め立てゴミを処理する場所。特に後者にはとても多くの鉄くずがあったそうだ。そして、埋め立てゴミを処理する場所には一枚のICチップが落ちていたという。